◆ 雑記あれこれ ◆ 植田幸子 |
昭和23年「子年」生まれの私達。北海道雄武高等学校全日制一期生として、昭和42年に卒業し、それぞれの道を歩むため、雄武町を離れて暮らしております。
そして、あれから42年の月日を経て60歳(還暦)となり、平成20年10月18日に雄武日の出岬のホテルにて皆と会食を共にすることになりました。今からとても楽しみにしています。
今時の60歳ってとても若く、男性組は定年退職するのにはもったいない、日本のためにも一働きしてもらわなければ・・・と思うくらいです。女性組も益々元気な人たちばかり、
一家を切り盛りし、数々の難問を越えてきた自信からなのか、皆さん立派な意見を持ち、正論(?)のぶつけ合いでケンケンガクガクの大評論家ぶりは大変な女性像の変わりようです。
私自身も色々なことに興味を持ち、“知る”ことの面白さ、特に歴史は過去をたどって今がある・・・。今はテレビなどでお茶の間に居ながらにして膨大な知識を得ることが出来るし、
ちょっと目線をそちらに向ければどんどん楽しさが湧いてきます。
旅行へ行くにも予め知識の一つ二つ持って行くと、楽しさは何倍にもなり 東京見物をするにしても近代的な所よりは、昔読んだ小説の中に出てくる場所、建物(主人公はここを歩いたのかなあ〜など
と一人で楽しんでいます)を見るのが好きです。
私は鏑木清方の絵が好きで、絵本を買いました。それをぼーっと見ていると、表紙の女性は樋口一葉「たけくらべ」の美登利という事を知り、その時、井上ひさし(こまつ座)「頭痛、肩こり、樋口一葉」
という劇の案内があり、早速観に行きました。
その劇の一葉は、当時、流行作家で書く物はどんどん売れるのに、借金、借金の貧乏暮らし、小間物屋をしながら作家活動をし、働いても働いても暮らし楽にならず、並の頭痛、肩こりどころではなく、
突然悲鳴をあげて、24歳の若さで亡くなりました。という劇でした。
何故あんなに、借金があるのかしらと思い、今度は本を買い、「わたしの樋口一葉」瀬戸内寂聴、「樋口一葉に聞く」井上ひさし それらによると
父親が甲斐の片田舎の、名字帯刀も許されぬ百姓の身分だったそうです。その父親が直参の株を買い、天下の直参侍になったのです。
しかし、運命の神はやっと侍になり肩で風を切っていた父親には、皮肉で冷酷、わずか半年で将軍徳川慶喜は大政奉還を決行した。
その後、新政府になってから自力で、屋舗取り調べの仕事など、すんなりと新政府の機構の中にもぐり込んで、一葉の生まれた時の身分は、東京府士族、旧幕臣樋口為之助、役名は東京府少属 しかし、
維新の大変動期の中、直参の株を失い、全財産をすってその中不動産(土地転がし)、金融(高利貸し)の仕事もしていたらしく、そういう父親を一葉は疎ましく思っていたようだ。
その後父が亡くなり、10代で戸主に、一家のことが一葉の肩にどっと押し寄せ、借金、頭痛、肩こり樋口一葉・・・肺結核により24歳で亡くなりました。
*平成の世の中、五千円札になっている 一葉様とお父様*
*どのようにお思いですか。*
ひょんなことから樋口一葉まで話が発展し、
作品よりは人物に興味を持ち、質屋、井戸、がまだ残っていることに愛おしさを感じ、法真寺での一葉忌(11月23日)にはまだご縁がないのですが、一度は行ってみたいです。
これはまた余談の中の余談ですが、加藤紀子さん(旧姓田口紀子さん:史子さんの姉)の大学の卒論が「樋口一葉」だそうです。
< 8/2008 投稿 >