東京・雄武会

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ふるさと雄武へ!鈍行列車の旅

9月中旬に家内と事務局長のO君の3人でJRの企画期間限定切符(北海道&東日本パス=JR北海道及びJR東日本管内の鈍行列車のみを7日間乗り放題で10,000円という切符)を利用して 東京からのんびりと雄武までの旅行記です。

<1日目>
 上野駅を午前7時58分発、宇都宮駅、黒磯駅、郡山駅、福島駅、米沢駅、山形駅、新庄駅、酒田駅での8回乗り換えて夕日の日本海沿いを一路秋田駅へ。秋田へは午後7時36分到着。 ほぼ12時間を列車で過ごしたことになります。乗り換えが多いので、寝ることも出来ずやや疲れ気味状態でしたが、この程度は事前に想定済です。
 新幹線のホームと違い、最近の在来線のホームでは、どの駅でも売店がなく弁当やビールも買うことも出来ず、お腹を空かしての1日でした。 この日は事前に見つけておいた秋田の郷土料理の店にてまずは乾杯と…

まずは酒田の駅から。何処に、あるっけ! 以下クリックして見て! 奥さんとO君談笑? 本当は、日本海に沈む夕日を見たかった

<2日目>
 この日は、秋田駅発午前11時02分と遅いので、秋田市内を散策がてら秋田市民市場を見て美味しそうな「いぶりがっこ」を購入、その足で白神山地を日本海沿いに走る五能線の快速リゾート 列車に乗車。(この列車は、310円の指定席券のみを購入することで4人個室への乗車が可能)
途中のウェスパ椿山駅にて下車し、日本海の浜辺にある露天風呂で有名な不老ふ死温泉にて立ち寄り湯。天気が良かったので、地平線を見ながらのんびりと浸かることができました。 その後、駅に戻りやはり快速リゾート列車にて五能線の旅を満喫し、午後6時23分弘前駅で途中下車。駅近くにある津軽三味線を聴きながら飲める居酒屋「山唄」にて津軽三味線を堪能し、青森駅へと向かい22時42分発札幌行き “急行はまなす”に弁当とビールを買い込み乗車(この列車は現在において、唯一の夜行急行列車のため鉄道ファンには人気がある列車です。その中でものびのびカーペット車両の予約が難しく、私は乗車1ヶ月前の発売初日にゲットしました。 なお、急行券1,260円+座席指定券310円が必要です)

k君夫妻、お孫さんとどっちもどっち k・O両君です。勿論昼間からビールの空き缶 不老ふ死温泉最高。左側男性用、右側は・・・

ふかうらと読めます。何処だっけ? 弘前での津軽三味線酒場。堪能! カーペット車。青函連絡船を参考に!

<3日目>
 翌日早朝の午前5時01分苫小牧駅下車後、駅構内で洗面を済まして朝食を買うために苫小牧駅近くのコンビニを探すも見当たらず、諦めて午前5時50分発の日高本線静内駅行きに乗車。初めて乗るこの線は、 太平洋の海のそばをぎりぎりに走ることにびっくりし、海が荒れるとどうなるかと心配しているうちに高校の登校時の生徒で車内も混雑し出してきました。昔の興部高校へ通学していた頃を思い浮かべてしまいました。
静内駅で下車し、ここからはレンタカーを利用して襟裳岬を目指します。途中、日高本線の終着駅である様似駅にて休憩し、駅に隣接している観光案内所のお姉さんと様似町や近郊の話をして一路襟裳岬へと走ります。
この襟裳岬は、ルートの関係で観光ツアーのコースにはあまり盛り込まれていないため、立ち寄る人は少なく、この日も霧もなく、天候が良いのに観光客は少なくてのんびりと岬を散策することが出来ました。 (北海道の尾底骨と言われていることがここへ来て良く分かります)
その後、帯広を目指して、黄金道路から広尾、中札内を通って観光スポットである旧広尾線の幸福駅に立ち寄り午後3時30分に帯広駅に到着、レンタカーを返却し、さらに鈍行列車にて午後4時04分発釧路行きに乗車。
さすがに北海道は特急列車が優先なので札幌からの特急列車が遅れのため、この列車も池田駅で30分ほど停車して特急列車の追い越しを待っての発車です。数人の乗ったこの列車も午後7時30分頃に釧路駅に無事到着。
ホテルにチェックイン後すぐに夕食のため外出、釧路は炉端焼きの発祥の地です。前回来た時には観光客に人気の店で2時間待った経験があったので、今回は釧路フィッシャーマンズワーフの中にある「港の屋台村」へGO! ここのシステムは10軒の店の中から好きなものをオーダーして自分のテーブルにて飲食できるのですが、やはりテーブルの近くの店の人と話をするため、その店の料理を中心に頼んでしまいます。やはり店の女将さんも手馴れたもので、 地元の話の中で色々な美味しいものを勧められ、ついついお酒の量も進んでしまいました。さすがにこの時期、釧路の夜は冷え冷えとします。

襟裳に向かう海岸線を走る。海と近すぎ 様似で夫婦でにんまり。ピース ついに来ました。何もない襟裳岬です。風はビュービュー。波はざんぷらこ。違うか!

幸福駅です。幸せそうなお二人です 貸し切り鈍行列車。バンザイ! 釧路港。後ろは幣舞橋。た・し・か?

<4日目>
 翌朝5時55分発の一番列車で根室へ向かいます。車窓からの景色は、やはり根釧原野と言われるだけに雑木林の中をしばらく走り、ようやく厚岸あたりから海が見えて来ました。 本来ならば厚岸や霧多布などにも立ち寄りたかったのですが、列車の本数が少なくて断念しました。うつらうつらとしているうちに午前8時13分根室駅に到着、目的である納沙布岬へは観光バスもありますが、 ここは自由の効くレンタカーを利用して根室近郊を巡ることにしました。まずは、花咲岬、花咲港でのさんまの水揚げを見て、ドラマ「北の国から」で有名になった落石岬。風蓮湖、そして日本最東端である納沙布岬へと。
北方領土は見えませんでしたが、色々と領土問題を抱えてのこの時期に北方四島は返還される日が来るのでしょうか?
納沙布岬では、昼食時にさんま丼の発祥の店でさんま丼定食を食べました。この定食には花咲蟹の味噌汁がついていましたが、殻が固くて身を出すのに一苦労し、店を出て岬の汐風に当たると北の海の香りと風景に 昔の雄武の浜での思いが蘇ってきました。
レンタカーを返却後、根室駅発午後4時00分で東釧路駅まで戻り、釧網線に乗り換え一路釧路湿原の玄関先である塘路駅に午後6時53分到着。予約していたカヌーを所有しているペンションでの宿泊です。

風蓮湖です。野付に行かないと北方4島見えないのか 北方4島返して!!! 雲1つ無い最高の納沙布岬でした

<5日目>
 早朝午前4時30分に起床して5時出発のカヌーに乗船です。他に2名のお客さんもいたので私たちも含めて5名の乗船ですが、どのようにして乗るのかと思案していたところ、2艘のカヌーを器具で合体して 船頭さんを含めて6人が乗れるようにしていました。2時間のカヌー体験でしたが、やはり天候にも恵まれて朝靄の中、静まり返った川辺をカヌーが下っていく情景は幻想的でした。途中、鷲や鹿、丹頂鶴などを見ることも出来、遠くには雄阿寒岳、 雌阿寒岳が望むことも出来て一生の思い出です。やはり旅行の良し悪しは天候に左右されることが多分にあります。
下船後、ペンションに帰って朝食を済ませて温泉に入浴後、塘路駅発午前9時36分にて網走を目指します。途中の車窓から羅臼岳、斜里岳も望むことが出来、斜里駅を過ぎたあたりからオホーツク海の沿岸沿いに列車が進んでいきます。 網走駅では、遠軽行きにすぐの接続です。これに遅れると本日中に雄武にはたどり着くことは出来ません。
急いで桟橋を渡り列車に乗り換えることが出来ました。途中北見駅では、待ち合わせていた東京雄武会のH君とも合流することが出来て車内でお互いの旅行談義をしながら遠軽まで続きます。途中に思い出したのが、 小学生の頃先生から聞かされた今でも忘れられない生田原駅近くの常紋トンネル工事での幽霊の話のことです。あの頃は純粋だったのか、すごく怖かったことが思い浮かびました。先生の話し方もうまかったのでしょうね! そうこうするうちに終点遠軽駅に午後2時53分到着です。JR線の利用はここが最後です。ここからは、紋別まで路線バスを利用して雄武へ向かいます。
遠軽バスターミナルまで行き午後3時40分の紋別行きに乗車するものの、国道を一直線に走るのではなく、町に入るとグルグルと回って走るため紋別には午後5時05分の到着です。 紋別では、午後6時15分発雄武行に乗車する予定でしたが、地元の友人であるO君が仕事の途中で紋別まで迎えに来ていただけることとなり、紋別からはO君の親切に甘んじてしまいました。最終的には雄武到着が午後6時30分頃にたどり着き、 その晩は同級生10人ほどと親交を深め、無事に雄武へ到着したことを実感した夜でした。

カヌー初めての経験です 朝靄の釧路湿原。世界遺産に申請出来ない。なぜか? 丹頂さんでした

2時間も乗っていました。3人でポーズ 宿泊施設のリス君です あとは鈍行終着駅遠軽へ

<その後>
 雄武の実家である兄貴の家で3泊お世話になり、姉とも話が出来ていい思い出となる旅行でした。
帰りはオホーツク紋別空港からANA「シニア空割」と「雄武町オホーツク紋別空港利用促進助成金」を利用させていただき、実質2,000円、5時間程度(雄武の実家→東京の自宅まで)で帰ることが出来ました。
この旅行中は天候も良く、暑くもなく寒くもなくの絶好の旅行日和でした。訪れた場所の評価は天候に左右されることを実感した旅でした。
この次は、北海道の中でまだ行った事のない道南の松前、江差、奥尻島かなぁ…

日本海は夕日。オホーツクは朝日。わかってるネー 雄武漁港いや築港。正式名どっちだ! 紋別便でいざ東京へ。有り難うございました




有明海沿岸一周の旅の旅

9月25日より3泊4日の予定で表事務局長と2人で有明海に面する県(佐賀県、長崎県、熊本県)を訪ねて一回りしてきました。 旅行のきっかけは、表事務局長が「九州で福岡市以外は行ったことがない」と言ったこと、そして私が九州で一番お薦めの観光都市は『長崎市』と言ったこと、そして私も訪ねたことのない雄武町との姉妹都市である佐賀県の『武雄市』をも見てみたいと思い暇人2人が酒の勢いで意気投合した次第です。

早朝の一番機で佐賀空港に向かいそこからレンタカーにて1時間ほどで武雄市に到着しました。とりあえず武雄市観光協会へ行き、武雄市の見どころを聴取し、私共も素性を明らかにしたところ、雄武町のことをよくご存じで、毎年お互いの子供たちが相互訪問をしていることを話されました。また、武雄温泉駅の構内には、雄武町観光協会が主催している“雄武町写真コンテスト”応募のポスターが掲示されていたのには感激しました。

何といっても武雄市立図書館の立派なことに驚きました。話を聞くと九州の中でも1、2位を争う規模の大きさと蔵書の多さで、県外からも多くの人が見学に来るそうです。図書館でながら書籍販売する本屋さんもあり、スターバックスのコーヒーコーナーも併設しており、隣の建物には幼児向けの子供図書館が併設されていました。武雄市の人口49,000人のところにこのような図書館があることにビックリした次第です。計画当初は賛否両論があったそうですが、皆さんも九州に行った際には、是非訪れてみてはいかがですか。
その後、武雄市内の見どころである武雄神社の大楠、1300年の歴史のある武雄温泉楼門、陽光美術館・慧洲園などを訪ね武雄市を後に佐世保市に向かいました。



佐世保市に入ると、表事務局長が「すごい大きなビルが見える」と言うので、近くに寄るとそれはビルではなくて中国から観光客を乗せた大型客船であり、市内にもたくさんの中国人が歩いていました。とりあえず、その日のうちに佐世保の観光地である九十九島めぐりの遊覧船に乗り、佐世保湾に浮かぶ島々を船から眺め、続いて九十九島全景を山から望もうと展海峰へ向かいました。天候に恵まれたため点在している島々がはっきりと展望台から見ることが出来ました。

2日目は、佐世保市内を一望できる弓張岳展望台へ向かい、山から佐世保市内と佐世保港が見渡せられる人気の展望台だそうです。展望台から見ると地形が良く分かり、佐世保市は海の近くまで山が迫っており、周辺の住宅は傾斜地に立っていることがよくわかります。話によると佐世保は軍港で栄えたそうで、敵にわからないような入江のこのような地形が選ばれたそうです。続いて海上自衛隊佐世保史料館へ向かいました。

ここでは、日清日露戦争以降の海軍史を分り易く展示されており、案内の方の説明も大変興味深く聞くことが出来ました。次に西海橋です。ここは海の入江に大きくて高い橋が架かっており、その橋の下が遊歩道となっています。かなりの高さがあり、下を見ると潮流が見え結構スリルが味わえます。

その後一路長崎市内へ車を走らせ2時間ほどで長崎のシンボルである平和公園に到着です。ここはご存知の通り広島に続いて原爆を投下された地点です。二人して平和祈念像の前で戦争のない世界を願いお祈りをしました。

私は、長崎には3回ほど訪ねてきていまして、九州で最も魅力があり、見どころ満載な都市だと思っています。 異国情緒があり、食べ物も美味しく、路上には駐車や停車している車がほとんど見かけないことに来るたびに感心しています。丁度昼過ぎなので昼食をとるため中華街へ向かい、以前にも立ち寄った店で私はチャンポン、表事務局長は皿うどんをいただき、天候も良いので長崎の街を一望できる稲佐山に登り、長崎の地形が手に取るような眺望に感激しました。次いで鎖国時代に唯一西洋に開かれた貿易の窓口である出島へ
出島は、鎖国時代の建物が復元されてその頃の出島での西洋人の暮らしぶりがよくわかり、修学旅行の生徒が多く見受けられました。

長崎市での夕食は、私の知っている居酒屋へ行き地元のお薦めの刺身を頂き、まだ時間もあるので長崎の夜を楽しもうとユーミンというスナックへ
ここの美人ママとは面識はないものの、私の好きなシンガー(上奥まいこ)さんの出身地であり、長崎では知らない人がいないぐらい地元で有名な人です。彼女の歌で特に好きな「影おくり」は、長崎の原爆で亡くなった方を偲んで彼女が作詞した曲です。また、「願い」という曲は、ここのママの最愛の子供が海難事故で亡くなったことの想いを題材にしたと聞いており、訪ねた次第です。ママから地元長崎人だからこそ知る情報を聞き、翌日のスケジュールの参考にしました。

3日目は、ホテルより情緒のある路面電車に乗って長崎での観光では外せないグラバー園と近くの長崎孔子廟へ グラバー園は丘の上にあり、長崎の造船所一望できる眺望の良いところです。また、長崎孔子廟は、明治26年に中国の清朝政府と華僑によって建造された中国歴代博物館を併設された見ごたえのあるところでした。

長崎市も佐世保市と同様に急坂の多い街で、オランダ坂に代表されるような急斜面に民家や学校が立ち並び、私でもこんな急坂での運転は難しいと思い雪が降ったら通行は間違いなく困難なところ、表事務局長はどこに行っても街中が坂だらけに驚き「俺には住めない」と… 長崎を後にする前、前日ママのお薦めのカステラ屋さんでカステラを買い、昼食には地元で有名なチャンポン屋で二日続きのチャンポンを食し、雲仙に向かい雲仙地獄を見て回り、雲仙温泉で立寄り湯、そして有明海に向かって進み1991年に火砕流が襲った普賢岳のふもとを通り一路島原港を目指す。

ここからはフェリーに乗船、船は有明海を横断して一時間ほどで熊本港に到着し、そのままホテルへ直行、夕食は熊本名物である馬刺しの有名な店へ…表事務局長は、馬を連想して馬刺しに食が進まなかったみたいでした。 翌日3日目は、2年前の地震で損傷した修復中の熊本城を周辺から見学してきました。今なお城壁の石が崩れたままであり、本丸も足場でその姿があまり見えませんでした。次いで水前寺成趣園での庭園をひと回りして一路阿蘇山へ向かい阿蘇山の車で行ける外輪山の中岳火口を目指します。

阿蘇山は、一昨年の噴火による被害があり、最近まで入山規制されていました。今でもあちこちに大きな噴石が転がっていて道路や建物の屋根が壊れ、火口を見ると何時爆発してもおかしくない状況がうかがわれました。 その後、4時間かけて佐賀空港へ一直線、無事にレンタカーを返却し、老人の特権であるANAシニア割り料金で一路東京へ 旅行先の良し悪しは、全て天候次第だと思っています。今回の旅行はまあまあ天候に恵まれていて、満喫した旅の思い出になってと思います。(表事務局長さん!お付き合いいただきありがとう…また計画するので、それまで足腰鍛えていてね!)


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 **このページは今後の会員Y・K氏のために用意したページと致します。益々のご活躍期待しております!!**



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