東京・雄武会

ホームページに戻る

台北「孔子祭」      目黒 泰禅

孔子廟大成殿 今年も9月28日の台北市孔子祭(孔子誕辰 2,558周年)釋奠に参列のため 我々の『論語普及会』は村下会長を団長に、関空から10名と成田から1名 の合計11名が台湾へ出発しました。

ところが今回は 旅行中に三つの予期せぬ出来事が起きた。
一つは孔家79代 孔垂長先生が直前となって中国に行かざるを得なく晩餐会を欠席されたこと。二つ目が超大型台風 の台湾直撃により釋奠が1週間延期されたこと。三つ目が空港閉鎖となり帰国が1日延びた事である。先ず旅行の順を追って見ようと思う。

26日関西を飛び立ち、予定通り午後1時に台北桃園空港に到着したが、ここで 今回のハプニングの予兆というべきことが起きていた。成田からの参加者が既に着いているにも拘らず荷物が無くなり出るに出られないという。幸い荷物が発見されて拍手で迎えられたが、これが序幕であったかもしれない。
空港からバスで故宮博物院へ。昨年10月改装が終わり、時代順の新たな陳列で見易く工夫されていた。35年間に亘る晩餐会には、残念ながら孔家御一家のご出席はならなかったが、これまでと同様96歳の王宇清先生ご夫妻を 始め楊喜松先生、戴文郎先生、胡木蘭女史がご出席された。村下会長の挨拶と紋付袴姿の宮武理事の乾杯で老先生方との宴が始まった。楊先生のヒューマン・リレーション・人の縁を説かれた挨拶に一同大いに肯き、松並さんの 中国語による締めで楽しい晩餐会を終えました。

翌27日朝は烏来の高砂義勇隊慰霊碑へ参拝。義勇隊協会の馬偕理牧事務長が鐘を撞くなか、現地で空手を教えている内山さんも合流し、謹んで献花拝礼を行った。2年前 と同じく李登輝元総統の揮毫した碑は割り竹で隠されたままであり、土産屋の多くが高砂族から他民族の経営に取って代わられた、と馬偕氏は嘆いておられた。午後から「悲情城市」や「千と千尋の神隠し」で有名な九?の街並み も散策。夜は楊先生主催で先生の友人も加わっての懇親会である。法輪功と江沢民、日教組や道徳教育まで話しが及んで、日本も台湾も家庭教育の衰退が問題であるとして、共に家庭での論語普及に努めようと意気投合。
『子曰わく、群居して終日、言義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな』(論語衛霊公第十五)と成らないのは論語を学んだお陰である。
話題尽きない宴であったが室屋会長代行の謝辞で閉じた。熟睡の真夜中に日本交流協会 ・李定山氏から電話が入り、台風上陸の警戒警報で釋奠の1週間延期が決定したとの連絡。しかし一方では 台北市民政局黄呂錦茹局長の配慮で朝6時から孔子廟の参拝が出来る、との有難い連絡でもあった。

28日5時半全員がコンビニで買い求めた黄色い雨合羽をすっぽりと被って、黄呂局長と李氏の案内で孔子廟大成殿に入り、献香と三拝のあと論語学而篇を声高らかに奉唱した。暴風雨の中、我々だけの釋奠であった。
ところでこの台湾史上最大の台風15号は、「薔蜜」台風(薔薇の意味)と名付けられ、半径280キロ、911ヘクトパスカル、瞬間最大風速80メートル、降雨量1400ミリという恐ろしいほどの超大型台風でした。 決して「白髪三千丈」的な表現ではない。実際の観測値である。ちょっと古いが裕次郎の「嵐を呼ぶ男」で風速40メートル。日本では1時間の降雨量100ミリで警報が出る。如何にこの台風が大きいか想像して頂けたかと思う。 この台風が午後4時台湾北部に上陸し、空港は閉鎖となり、三つ目のハプニングへ続く。

帰りの便がちょうど上陸時間とぶつかるにも拘らず、航空会社がなかなか欠航を発表しない。次々とホテルが欠航であふれた観光客 に押さえられていく。運よく飛んだ時にはホテル代が戻らなくてもよいと判断し、我々もホテルを確保。昼に関空便の欠航が決定したが、成田行きの欠航アナウンスがない。仕方なく、またもや成田への帰国者は独り空港向かうこと となった。最終的にまたホテルで再会するのであるが・・・。危険のためホテルから一歩も出られないとのことから、食料品を調達して、宴会しながら台風の去るのを待つことにした。ここは航空会社に任せるしかない。『唯酒は量無く、 乱に及ばず』(論語郷党第十)とばかりに盛り上がったのは勿論のことである。29日朝未だ台風が上空に停滞している中、猛烈な風雨を突いて離陸し帰国できました。


雨合羽姿の筆者 晩餐会

以上が台北孔子廟参列記であるが・・・、
更にこれまでと違う釋奠となることを報告しなければならない。台北市釋奠の主催者は台北市長である。これまで8年間市長を務めた馬英九氏が、今年5月に総統に就任し、今回は総統の立場で出席するという。論語の『孔子、季氏を謂う、 八?庭に舞わしむ。是をも忍ぶべくんば、孰れをか忍ぶべからざらんや』(論語八?第三)にあるように、急遽、?舞がこれまでの六?(36人)から、天子の舞である八?(64人)で行われるとのこと。ただこうして書いている今日 が延期された釋奠の日で、見ることは出来ない。
しかしながら何といっても一番の予期せぬ出来事は、孔子の誕生日9月28日その日に日時を違えずに台北孔子廟に参拝できたのは、日本から行った我々『論語普及会』一行だけという、 この上ない喜びの大ハプニングであった。

                                                              (了)

                                                         <  12/2008   投稿 >


ページトップに戻る


Copyrughts(c) 2007 TokyoOumuKai All Rights Reserved